■代官所跡


約八百坪の敷地に、寛文二年1662には、代官所が建っていたということが記録や文書、絵図にあり、教育委員会が行った発掘調査と、これらの記録が符合している事が判明しました。建物は、廃藩置県の際取り壊され、その門は銀山広芝邸の門として移設されています。 

 

   敷地内には、古井戸や院寺稲荷社の遺構も残されています。その後、跡地は日本鉱業職員の社宅として、昭和四八年の閉山まで使用されました。日本鉱業採掘当時には、八大龍王の祭祀跡がありました。また、裏山には、銀山開基伝承のある金懸間歩跡や、秀吉時代の十六人間歩跡が存在します。