高札とは、古代から明治時代初期にかけて行われた、法令などを板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法です。
この高札場の遺構が、現在の銀山橋の袂に残されています。奥行き2.5m、幅8mの石壇です。
その位置は、絵図などから幾度か移動していることがわかっています。
遺構内の金毘羅権現の燈籠は江戸中期の文化十一年(1814)に建立されたものです。