■瓢箪間歩

 


秀吉の採掘時期(天正~慶長期)の代表的な間歩で、瓢箪にはじまり瓢箪に終わるといっても過言ではない大富鉱の銀鉱です。

豊臣秀吉が採掘していた当時の山師、原丹波、原淡路の親子二代にわたる銀銅の採鉱で盛山となったことで、秀吉から褒美として多大な金子や刀剣を拝領したという伝承があります。また、秀吉の馬印の千成瓢箪を間歩の入り口に立てることを許されたことから、「瓢箪間歩」とよばれるようになったということです。

 伝承では、秀吉が馬上のままこの間歩に入ったとも言われています。

 現在の坑内は風化し、些細な衝撃でも落盤の危険があります。