■堀家精錬所跡


堀家製錬所は明治時代の貴重な近代産業遺産です。

明治二八年(1895)山陰の鉱山王と呼ばれた堀藤十郎が採掘権を得て銀・銅・鉛の生産をはじめました。

明治三九年(1906)、生産規模を拡大するため、それまでの手選鉱から機械選鉱への転換を計画しました。

翌年、建物が落成して機械の据え付けが進みましたが、明治40年(1907)秋に始まった銀・銅の価格暴落によって翌四一年(1908)鉱山は休業し、機械選鉱場が稼働することはありませんでした。しかし熔鉱炉は短期間にせよ操業していたようで、排煙施設は、溶鉱炉と焼鉱炉の2ヶ所の吸込口から煙道を通り排出される設計になっています。

煙道は念力山の山頂(△227m)まで斜面に沿って約170mの長さで築かれ、山頂にある直径約2m高さ10mの煙突からは製錬の煙がモクモクと出ていたので、地元では通称エントツ山と呼ばれていたそうです。

今も念力山の南斜面に大煙道の遺構が残っています。